10年越しの想いが実った、尾道での物件探し
―東さんのご出身は三重県で、現在は名古屋にお住まいだと伺いました。なぜ尾道に宿を作ろうと思われたのでしょうか。
東さん:もともと尾道のまちが好きで、昔からたびたび訪れていたんです。ダイビングインストラクターの仕事をしていた20年ほど前は、よく高知県へ潜りに行っていたんですが、その途中で尾道に立ち寄って、観光したりのんびりしたりして過ごしていました。
そんなこともあって、「いつか尾道で仕事ができないか」と、実は10年ほど前から物件を探していたんです。
過去には何度か内見にも行って、「買いたい」と伝えた物件も。しかしなかなかご縁に恵まれなくて、へそを曲げていた時期も少なからずありました(笑)いつものようにふとした時間に不動産情報サイトをスクロールしていてこの物件を偶然見つけたとき、直感的に「ここだ」と思いました。
國本建築堂代表・國本広行(以下、國本):購入の早さにも驚きましたが、あらゆる判断にスピード感があるのは、それだけ強い想いがあったからこそだと感じました。
東さん:約5坪という非常にコンパクトな建物ですが、尾道らしい情緒があって、駅や商店街も近い。尾道の日常にそっとお邪魔させてもらうような、そんな体験ができる場所を探していて、最高のタイミングで出会えました。

最小限のサイズでも豊かな時間を。國本建築堂「KOTA 小宅」との親和性
―國本建築堂に依頼された経緯を教えてください。
東さん:地元の業者さんにお願いしたかったので、まずはインターネットでいろいろな会社のリノベーション実績を調べました。なかでも國本建築堂さんの施工事例を見つけたときにビビッときたんです。思い描くイメージに、一番近かったといいますか。
―どんなリノベーションをイメージされていたのでしょうか。
東さん:「和」という言葉と「アスタリスク(*)」という記号をこの宿の屋号にする、という構想は決まっていました。アスタリスクの記号って、形が日本の家紋のようにも見えませんか。語感としては英語圏の方にも伝わるので、インバウンドの方と日本を結ぶ接点のような場になればいいなと思っていました。
國本建築堂さんのこれまでの施工事例からは、洗練されていながらも土地と建物の物語性や古さを活かした丁寧な姿勢や尾道らしさを感じられて、直感的にここだ、と思えました。

國本:すでに物件を取得された後でしたよね。細かい流れを説明すると、東さんが取得された物件って、この「asterisk ONOMICHI 弍」が1番目ではないんですよ。
―あ、だから「弍(に)」なのですね。
國本:そうなんです。一見するとミステリアスなネーミングですよね。東さんはこの1年以内に4件もの物件を取得されていて、そちらのリノベーションも進めているので、とにかくスピードについていくのに必死でしたね。
決断も動きも非常に早いのは、東さんが経営者だからでしょう。しかし、あくせくしているかというとそうではなく、実際に会ってお話してみると叶えたいことや方向性などとても波長が合って、すぐに意気投合しました。
國本建築堂・加藤一実(以下、加藤):この物件は、購入された時点で数年前に軽くリフォームされていました。正直なところ、私たちからすると一度手が入った物件よりも、古いなら古いままの建物のほうがご提案しやすいんです。中途半端に新しい部分があると、取捨選択の線引きが難しくなりますから。
しかし、國本建築堂の敷地内にある「KOTA 小宅〜5坪の家」という蔵をリノベしたモデルルーム(宿)を見ていただいたことで、どこに向かいたいかが互いにしっかり見えるようになったと思います。(「KOTA 小宅」の施工事例はこちら)
國本:そうですね。「KOTA 小宅」はこの物件とサイズ感やテイストが一緒で、たとえ大きくなくとも工夫次第で豊かに過ごすことができることを実感していただけたのかなと。そして私も加藤も、尾道で生まれ育っています。私たち地元の人間がもつ「尾道らしさ」の解像度を、東さんのビジョンにうまく掛け合わせることができたのかもしれません。

5坪に込めた「非日常」へのこだわり
―内装作りにおいて、特にこだわったポイントを教えてください。
東さん:基本的にはほとんどお任せしましたが、譲れない部分についてはかなりわがままを聞いていただきました。それは「お風呂」です。これまでの宿の運営経験を通じて、旅行の疲れを癒やすのに大事なものはお風呂とベッドルームだという信念がありまして。そこはしっかりと作っていただきたいと伝えました。
加藤:その「お風呂」が、私たちに立ちはだかった最初の大きな難題でした。このサイズであれば、通常は間取りにゆとりをもたせるためにシャワールームをご提案するのですが、東さんは「信楽焼の陶器風呂を入れたい」とおっしゃられて。

―約5坪の宿に本格的な陶器風呂ですか!工夫が必要だったのでは?
加藤:そうなんです。もちろん、ただ入れるだけでは圧迫感は避けられません。たとえ図面上で浴室を大きく取ったとしても、余裕を持って滞在していただかないと東さんの意にはそぐわないし、意味がないと思いました。同じフロアにあるリビングルームのゆとりを確保しつつ、いかにゆったりとくつろげるか。どうしたってスペースは限られているので、すごく悩みましたね。そこで、リビングから見える部分だけ梁を剥き出しにすることで天井高を作り、視線が抜けていくようなデザインに落ち着きました。
天井でいうと、エアコンと照明の位置についても試行錯誤しましたね。取り入れたかった和紙の照明は軽いこともあり、エアコンの風で揺れ、気になってしまう。この空間に必要な設備を配していくのは、まるで精緻なパズルのようでした。
東さん:本当に叶えていただけて驚きでしたし、想像以上に素敵な空間にしてくださりありがとうございます。お風呂は言わずもがなで気に入っているんですが、この壁の質感もいいですよねぇ。
加藤:質感にはかなりこだわりました。土のようなザラッとした表情を活かしつつ、角をわずかにカーブさせておりまして。このやさしい角度の丸みがあることで、照明が当たったときにやわらかな陰影が生まれて、室内に奥行きとあたたかみが宿るんです。
東さん:ほかにも、宿泊のお客様には尾道での買い物も体験してもらいたくて、商店街で買い求めたお茶を楽しめるような「水屋棚(茶器の棚)」も階段下に作ってもらいました。買い物用のトートバッグも用意したので、ぜひ「暮らす」ように過ごしてほしいと思います。
國本:結果的に、コンパクトながらもドラム式洗濯機までしっかりと兼ね備えた、長期滞在が可能な空間に仕上がりました。建築堂に「KOTA 小宅」の事例があったことも大きかったのですが、東さんのご希望を伺いながら試行錯誤することで、私たちにも大きな気付きがたびたびありました。互いの知見や想いが見事な化学反応を起こしたから、ここが生まれたのだと感じています。
加藤:尾道は漁師町なので一昔前はそこいらに銭湯や旅館が点在していたんですが、時代とともに徐々に失われていってしまいました。こうしてまた、良いお風呂をもつ宿が尾道に生まれてうれしいですね。

尾道の空き家で始まる、新しい福祉の形
―東さんは、この宿の運営を通じて「障がい者就労支援」という大きなテーマにも取り組まれています。
東さん:そうなんです。宿泊業って、因数分解してみると業務が多岐にわたります。対面のコミュニケーションが苦手でも事務能力に優れた方、ひとつのことに一生懸命取り組む方など、自身の特性を発揮できるような手仕事も多いんです。たとえば裁縫が得意な方には、宿で使う枕カバーや、ほかの宿で使っているサウナハットを作ってもらったりもしていて。
ただ、法人としてその文脈でのアピールはほとんどしていません。なぜなら、お客様にはフラットな視点で宿選びをしてほしいからです。純粋に「泊まりたい宿」として選んでいただきたいですし、ほかの宿と同じ基準、同じレベルのクオリティで仕事をすることがスタッフにとって誇りとやりがい、モチベーションにつながると信じています。

―今後、尾道でどのような展開を考えていますか?
東さん:今は広島市内の拠点からスタッフが通っていますが、いずれは尾道で完結する自立した事業所を作りたいと考えています。理想は、働きたいと考えている方がもっと自由に好きな生き方、好きな仕事を選べるようになる社会。自分の得意に応じて「この仕事、おもしろそうかも」「あんな仕事がしてみたい」「挑戦してみようかな」と選択できる、そんな環境作りの一端になれたらと思っています。
國本:國本建築堂としても、リノベーションを通して新しい福祉の形に携わることができたことはターニングポイントになりそうです。身近にも、そして自分にも通じるものがありますし、誰しもが抱える生きづらさの境界線をなくしていく東さんの活動には、心に訴えかけられるものがありました。
東さんが培われてきた信念と、國本建築堂の知見や地元性とが掛け算されて、新たな価値が生み出せたんじゃないかと感じています。「asterisk ONOMICHI 弍」がボーダーレスな社会への一歩になることも、またひとつ地元に宿が誕生したことも、私たちにとってうれしいことです。
「思い描いていた以上で、仕上がりを見た瞬間めちゃくちゃ感動しました。一緒に滞在する人たちと自然と会話が生まれるようなこの広さが、実はちょうど良いのかもしれません。この5坪の空間が、とても好きです」。そう語ってくれた東さん。
この宿の背景にある障がい者雇用への取り組みは、これからの地方都市の在り方に一石を投じるものではないでしょうか。自分らしく働ける場所という選択肢が地域に芽吹くことで、「生きがい」をないがしろにしなくて済む社会を作る。その理念が、これから生まれようとする1棟1棟にもしっかりと込められていくでしょう。
梁や手すりなどの古い素材を良いバランスで残しながら、創意工夫の結晶で調和を生んだ内装は、尾道というまちの魅力そのものを凝縮したよう。築120年を超える建物はこうして生まれ変わり、また新しい時代で、多様な人々の出入りを見守っていきます。
